by fujita929
カテゴリ
以前の記事
2024年 01月 2023年 11月 2023年 08月 2023年 05月 2023年 03月 2023年 01月 2022年 11月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 06月 2022年 04月 2022年 01月 2021年 11月 2021年 09月 2021年 07月 2021年 05月 2021年 03月 2020年 12月 2020年 10月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 03月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 10月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 02月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 お気に入りブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
家内と もう普段は物置きの 実家に、 久しぶりのお掃除行。 11月の晴れ。 「峰人ちゃん、柿もっていきなよ」 そういわれ、親戚の姉さんに差し出された柿はこの季節 故郷の色をしている。 いかにも甘そうです柿色。 実家には桐たんすがそのままで、よく探してみると奥から またまたご丁寧な包みが出てきました。 24年前に亡くなった母の着物です。 この初夏の第一弾に引き続き、第二弾。 よく探すとまだあった、というわけ。 藤田毒野はかみさんと車に乗り、柿と着物を西荻に運びました。 11月は一年でもっとも晴天が多いと聞いたことがあるけど まさに着物の虫干しには好都合です。 以前もブログに書きましたが、またも数日間かけての 遺品虫干しの敢行。これから師走までのひと時は 落ち着かなくなる少し前の猶予期間みたいで なんかそういうことをしろや、と見えない者からの お告げで動くのです。 アタマの中、ちょっっとだけ柿色セピアな晩秋。 24年も桐箪笥に仕舞われた着物たちというのは それはそれ、たとう紙に包んであっても臭う。 いわゆる、「着物くさく」なっています。 うちの死んだおっかぁは着道楽であったようで、 親戚の千葉のおばはんどもに「これ形見分けしてくんない?」と 持ちかけたところ、「めんどくさいねぇ」と一蹴された。 というのも母の女姉妹はまだ5人ばかりが健在で、それら一同が 会する機会がないし、量もあるし、においもあるし、 「めんどくせーよ峰人ちゃん」ということになってしまう。 僕も家内も着物のたしなみは分からないから どうしようか、まとめて売るしかないなぁ、と覚悟を決めたそのとき、 「私が着るよ」といきなり上のムスメが名乗りを上げた.. これがこの初夏の展開でした。 「まぁそれが天国のお母さんも一番喜ぶ展開でしょうね」 家内もそう言って納得、 ただ、着るのはムスメでも、臭いなど抜いて、その後の管理をするのは おやじってことになります。 ムスメはなんと大学の聴講で着物の先生と出会い、着付けを 覚えてきました。 家で自由に着物が着られるのはムスメだけ。 その立場は優位的です。 そのうち家内も臭いのおさまった着物などは 祝い事にムスメの協力のもと着付けてゆくのでしょう。 「わたしの出る幕はないね」 「おめぇもベランダまで運べ!」 下のムスメは全く関心もなく 家に帰ってくるなりパジャマでマンガばかり読んでいる。 しかるに強制的におやじの奴隷として働かせるしかない。 しかし。 「お父さんしかわかんないよ着物のこと。それにこの後 ホームページのこともやるんでしょ?」 「ああ、もう直さなきゃいけないんだ」 「・・・・」 下は色よくない。 しかしおやじはHPを上手く扱えない。 パソコンごとはどのご家庭も共通で、おやじが立ち遅れている。 「ホーシューは?」 「...じゃあ、今度ナン奢るから」 「...じゃやるか」 下は近所に出来たインドカレーのお店のナンに弱い現状があり おやじはそれをダシに使うしかない。 確かにそこのランチのナンは小さめ、焼き立てですごく旨い。 お店も小さく、ランチの時に小さい黒板が出て ナスカレーと書いてあるが ナスのナの字が逆に曲がっていたりする。 インド人嘘つかない。 「見ろ!ここのカレーは絶対旨いぞ!」 そう言ってテストの褒美に連れて行ったら、下は味をしめた。 以来事あるごとナンを臭わせる。着物が臭いナンも臭う。 お天気だけが父の味方であります。やれやれ... 僕は今のギャラリーを アコースティックライブの出来るパーティスペースとして レンタルが開始できるようにいろいろ考えていました。 その追加HPはもうすぐ公開できます。 そのレイアウトなどのプログラムを下のムスメが 手がけています。 大まかなレイアウトのラフは僕が作り、 テキストデータはすべて父が構成し、父が撮った写真を提供して、 後はすべて一度ムスメが組み上げます。 そこでは口を出せない。 そこで途中なんか注文をつけると、下はすごくムッとするので 父は下のご機嫌を取りながらことを進行させてゆくしかないのです。 「いやーいやたいしたもんだな!流石だな!すげー!天才だな!」 「ナンは二枚だな」 もう大変です高校生は。 「こんな日が来るとは!!!」 家内が思わずムンク的に叫びました。 ムスメのご機嫌をとって生きる僕は 家内がかつて想像し得なかった現実でした。 「オレはなんでもやるよこうなったら..」 立ってるものは親でも使え、と言いますけど、 そのうち子供に指図されて生きるんですね。 もちろんナンだってタダじゃない訳で、もうこの際 やっぱり着物は金目のやつから売っちゃおうかって考えたりする。 せっかくお袋が残してくれたんだし.. これも財産だしなぁ... 『人は必ず失うもの。 それを受け入れてゆかなければ未来はない』 藤田毒野は今再び対象喪失など学ぶため、 エリザベス・キュブラー・ロスを読み返して 24年前の母の面影をぼんやりと思い出していました、うろこ雲・・ 「この糸は何?」 留学生の送迎会に着物を着て行って喜ばせようと バイトから戻った上のムスメが 着付けをしながらそう言いました。 母の着物の上に、みちゆきを着ようとしたときです。 外は気温が下がりつつありました。 家内が見ると、その柿色のみちゆきにはしつけ糸がありました。 「...たぶんこれ、一回も着てないんだ」 家内はぼそっとそう言いました。 そしてあることを思い出していました。 家内は僕と病床の母を看病していましたが 母は亡くなる前、叔母に、 「嫁さんの着物は私がひとつ準備しておくから」、 と告げていました。 そのみちゆきは臭いが浅いのがわかります。 新品でした。反物からの誂えでした。 着物たちは数日干し続けると かなり臭いが消えました。 少し風もあり、空気もだいぶ乾燥して、気温もだんだん下がって行きます。 一日はすっかり短くなりました。 その日の夕方、 僕はまたひととおり母の着物たちをベランダから 屋内に移動させていました。 陽はすっかり傾いて、僕は母が僕の結婚式で着た 着物などを、ひとつひとつ仕舞い始めます。 着物は結構重いのでひとつひとつ。 4日目の初冬の陽。 中のひとつ、特に着物臭かった 黒の留袖の匂いをかいでみます。 すると着物臭さはだいぶ抜けていて ある匂いだけ残っていました。 僕はちいさくはっとしました。 そして、しばらくじっとしていました。 もう一度かいでみると 憶えている母の匂いでした。 少し膝が震えていました。 売ったら 大変なことだった。なんてことをしようとしたのか、 そう思わずにはいられませんでした。 『人は必ず失うもの。 それを受け入れてゆかなければ未来はない』 キュブラー・ロスの語るところはむずかしい。 頭では分かったつもりなのに。 人間て、本当に何というか... 夕焼けの柿色染まる晩秋にナンを求めてナスの逆曲がり西荻路地裏通信
by fujita929
| 2014-11-17 12:46
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||